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2016年1月

2016年1月10日 (日)

亀山市駅伝のコースを試走

日曜日の今日は亀山市駅伝のコースを逆走してみました。10:45亀山市関文化交流センターを出発、11:18に巨大な太陽光発電パネルがぷかぷか浮かぶ調整池を通過、ここで約4.1kmです。
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11:30白川小学校を通過、映画のロケに出てきそうな素敵な校舎が見えます。12:03に野登地区コミュニティーセンターで、ビスケットの昼食、ここで10.1km。記録するのもはずかしいタイムですが、めげずに15分ほど休んだら走り出します。
川崎小学校前を通過して、12:45に能褒野神社に到着。能褒野神社にはヤマトタケル(日本武尊)、オトタチバナヒメ(弟橘媛)、タケカイコノミコ(建貝児王)が祀られ、ヤマトタケルの墳墓とされる能褒野王塚古墳があります。
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13:05に出発、みどり町の住宅地を通り抜け、13:40に和田一里塚、14:15に野村一里塚を経て、14:50に関コミュニティーに帰ってきました。23.5kmの亀山市駅伝のコースに市内から関までの6kmを合わせて、29.6kmのゴールは間近です。
しかし、関のコミュニティーセンターまであとほんのわずかところでした。旧街道の道路の右端をせっせと走っていたところ、いつの間にか側溝の蓋の上を走っていました。と、突然何かにつまずいき勢いづいて前向きに転倒しました。とっさに受け身の姿勢をとり、横方向に一回転。おかげで怪我はなかったのは幸いでした。
ただ、つまづいた右足の親指のつけねあたりが捻挫をしたような痛みがあったのであとはゴール歩いて14:50に到着しました。
それにしても、サングラスをかけて、視界が悪かったというのは言い訳にもなりません。側溝の上を走ったりするのはやめよう・・・痛い目にあった今日1日のランの終わりでした。
痛い目にあったあとは、変わらなくちゃ。

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2016年1月 6日 (水)

鳥羽街道ラン、京都~大阪枚方

 1月3日の日曜日、高速バスは9時ちょうどにお正月の京都駅前に到着しました。八条口はホテルが多く観光客と思しき人混みでにぎやかです。 今日は鳥羽街道を経て淀川沿いを走って大阪方面をめざします。9:15に走り始め、東寺の前を通過して9:35には鳥羽街道の起点「羅城門」に到着しました。 案内板を読むと、北端の朱雀門と対比して都の南端に794年に建てられた平安京の正門で、幅33m、奥行き8m、二重閣瓦屋根造で棟両端に金色の鴟尾が据えられていたそうです。
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 平安京の造営から時が流れ、816年大風で倒壊後再建したものの、980年に暴風雨で再度損傷してからは修理されず、右京の衰えと共にこの門も荒廃していきます。 「今昔物語集」には、世が乱れるにつれ平安京南部の治安は悪化の一途をたどり、洛南の羅城門周辺は夜になると誰も近付かない荒れはてた場所になったと書かれています。 やがて引き取り手のない「おろく」がこの門の上階に捨てられるありさまとなり、荒廃した不気味な羅城門は、いつしか数々の奇譚の題材になっていきました。 この「今昔物語集」に収録された羅城門の怪奇譚や、平安中期に羅城門に棲みついた鬼(茨木童子)と戦った渡辺(源)綱の武勇伝、近代では芥川龍之介の小説「羅生門」も有名です。
 現在は、住宅街の奥の小さな公園に、石碑がひっそり残るのみでした。すぐ近くにある「東寺」はこの羅城門を守るために建てられた寺で、羅城門にあった木造兜跋(とばつ)毘沙門天立像が保管されています。また京都の国立博物館には羅城門の屋根を守っていた三彩鬼瓦(写真の右上部)が保存されているそうです。
 あまり街道っぽくない、どちらかというと裏通りの路地といった感じの細い道を南へ南へと走ります。10:10に小枝橋を渡って、京都市伏見区中島秋ノ山町につきました。 ここには「鳥羽伏見の戦い勃発の地」の石碑があります。
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 案内板には「明治元年(1868)1月3日夕方、王政復古後の処置に不満の幕臣・会津・桑名軍は大阪で挙兵して、竹田街道を北上し小枝橋を渡ろうとするのを、城南宮に陣をはる薩摩軍が発砲。この一弾が合図となって戦がはじまり、鳥羽・伏見において激戦が6日まで続きました。」と書いてあります。
 「なぬ~!これって、148年前の今日じゃないか~い!」
城南宮は、すぐ近くの国道一号線を越えたところに現存しています。竹田街道はいま走っている鳥羽街道より小枝橋の逆方向(東側)のほど近くに並行している街道です。
 なにかに引き寄せられるように、桑名藩の壊走したであろう道筋を辿っていきます。恋塚寺(10:20)を通り過ぎてから、桂川の堤防をひた走ります。京都外環状線の高架の下をくぐると、京都競馬場らしき巨大な建造物が見えてきました。11:15に着いた京都競馬場につながる陸橋の下の小さな公園に「戊辰役東軍戦死者埋骨地」の石碑が建っています。 この地はその昔、太閤の時代に松並木が植えられ「八番楳(うめ)木の千両松」と呼ばれてました。この周辺では、1月4・5日の激戦で桑名藩を含む多くの藩士が倒れたそうです。
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 この八番楳木の千両松の碑には、無名の桑名、会津藩、新選組の犠牲者41名が祀られていますが、建立者も建立年もありません。敗軍である桑名、会津藩の犠牲者は氏名不詳で、石碑には人数でしか記録がないことが多いようです。
 郷土から遠く離れたこの地で倒れた藩士の志は、勝った側のそれと何ら遜色のないものだったに違いない。10月31日に桑名を出発してから、延べ6日かけてここまで走ってきた道のりに想いをはせながら、石碑に手を合わせました。
 そんな伏見区納所下野をあとにして走りつつけ、11:30に淀城址、12:05に石清水八幡宮に到着、休憩兼初詣をすませて12:55に再スタート。14:15に大阪府枚方市にある京阪「御殿山駅」でこの日のランニングを終了しました。

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