東海道ラン、京都に到着しました




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今日は甲賀市土山町前野から草津市を目指して走ります。9時ちょうどに土山町に到着、フレンドマートさんで買い出しをして、ついでにトイレもお借りして9:35に出発です。
近江の国の街道沿いは、家々に大きな庭があって間口が広い家が多いように感じます。昔読んだ司馬遼太郎さんの対談で、昔から近畿地方では農家が農作物を近くの京都や大阪まで売り歩くことで、すでに近世の初めころには豊かな生活と社会的に独立した地位を手にしていたと言っていたのを思い出しました。
風情のある大きな屋敷の街並みが全く途切れることなく続きます。土山大野郵便局を過ぎたあたりで、なにかしら良さげな酒造場を発見しました。
銘柄は「初桜」おいしそうな日本酒だなぁ、買っていきたいのですが、手に持って走るわけにはいかないし、新酒ができたことをお知らせする「杉玉」が飾られるであろうポジションにまだセッティングされていないし、その時期が来るまで今日のところは我慢して、走りを続けます。それがちょうど10時
10:15に国道1号線「大野西」信号を通過、国道は高架になってバイパスのような姿に変わります。このさきしばらく国道から離れて、野洲川沿いの丘陵地帯のアップダウンのある道になります。地名も甲賀市水口町にかわり農村地帯から水口の市街地に近づいていてきます。
ここ甲賀市水口町今郷の宝善寺の近くにはその昔、武蔵坊弁慶がそばにあった岩と背比べをしたところ、自分より大きい岩に悔しがった弁慶がパンチを一発、その破片が200間(約350m)飛んでこのお寺の近くまで飛んできたという伝説が案内板にありました。お寺の境内に入らせてもらったのですが、残念ながらそれらしい岩を見つけることはできませんでした。
11:05に近江鉄道「水口石橋」駅の踏切を渡り、八坂神社でトイレ休憩して水口城には11:25に着、お城を見ながら持ってきたお弁当を食べました。
水口城は不思議なお城です。お城の中心部の本丸には建物がなく野球のグランドとして使われていますが、お濠には石垣が一部(番所と乾の櫓)を除いて「石垣」がなく、まるで自然の川のようです。
~水口城は3代将軍徳川家光が京都に上洛するための宿館として1634年に造られた城で、将軍が上洛する機会がなくなり宿館として使われなくなった後に、城主となったした水口藩主は代々この城を幕府からの借りものとして、居城であるにもかかわらず本丸の御殿を使用せず、藩の行政も二の丸で行っていたそうです。
本丸御殿はその後も使われることなく1710年代に解体され、明治維新で廃城になるまで空き地のままだったそうです。明治の廃城の際に城の建材は公売に出されて、石垣はほとんどが当時の近江鉄道の線路敷設に使用されたそうです。本丸に石垣がなかったのはこのためだったのですね。
12:30横田渡の常夜灯を通過、ここから川越しに三雲町の街が眺められます。12:45三雲駅、13:05大汐川隧道を通過。ここで帰りバスの発車時刻の都合で、草津駅を14時前に発車する汽車に乗らなければ間に合わないので、時刻に合わせて計画の草津駅より3駅手前の甲西駅でランをストップしようかなと思い始めました。
甲西駅の前には13:30に到着、ここでスマホを使って次の「石部駅」までの距離を調べると約5kmの距離です。ゆとりをもって甲西駅で今日のランを終わらせるのことも考えましたが、最後の1駅は「ガチ」に走って、今日のランをしめくくろうと考えました。ここから先は純粋に走ることだけを考えて走り切りました。
結果、13:55に石部駅に到着。その後14:07石部駅発のJR草津線に乗り寺庄駅で下車しました。
寺庄駅からはあらかじめPCで調べてあったバスをで車が置いてあるところの手前の「岩室橋」で折り返して別の方向に向かうルートを通ります。「岩室橋」で降りるつもりでしたが、運転手さんにそのことを話したところ、もう少し先で降りるほうが近いと教えてもらい、出発地点のほぼ近くまでバスで行くことができました。ラッキーな締めくくりとなりました。
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