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2015年12月

2015年12月15日 (火)

東海道ラン、京都に到着しました

12月13日の日曜日、桑名から出発した東海道飛脚の旅も5日目です。今日はゴールの京都をめざします。石部駅まえの案内板には「石部は古くから伊勢までの街道として栄え、江戸時代には「京たち、石部泊まり」として東海道五十三次の五十一番目の宿場町でした。町の北には野洲川が西に流れ、南には亜星山がそびえ、山麓には国宝の長寿寺、常楽寺があります」そんな石部を9:06に出発。実際に旧街道を走ってみて思うのですが、今までこの界隈(滋賀県の草津あたり)といえば倉庫とか工場ばかりの国道沿いの殺風景な風景しか知らなかったのですが、 実際に旧街道を走ってみるとその街の歴史があって、自分の地元とは違ういろいろな暮らしがそこにあって、こういう旅もおもしろいなぁとつくづく思います。
Img_2499JR手原駅の近くで東経136度の石碑を発見。石碑の側面には日本標準時の「兵庫県明石」と比べると、ちょうど4分南中時刻が早いという意味のことが書いてあります。今まで経度なんて興味無かったので知らなかったのですが、確かに1日分のの時間を分に直して360で割ると、1度が4分の差に相当します。あとで調べてみると、例えば東京の経度は139.45分で、自分の住んでるところとは約8分のの時差があります。確かにテレビのニュース番組でよくみる、日の出や日没で感じる時間差はこれくらいだったなぁと思いました。 それはさておき、10:25には草津駅前に到着、駅前で銭湯「桜湯」を発見、その後旧街道から国道1号線に出ると今度は三重県津市にもある「極楽湯」を発見、草津はやっぱりお風呂の街だったのかあ(温泉の街は群馬県の草津ですが)。11時に草津川(2002年に治水事業で開削された放水路。旧草津川の河道はは天井川として廃川)を通過、堤防からはこれから超える比叡山系が遠くに眺められます。
Img_2459 ここから先はずっと国道の歩道を走ります。が、さすがに国道の歩道は面白くなくなってきて、わき道を走っているといつの間にか琵琶湖に出てました。着いたところが「瀬田湖岸緑地」すぐ近くに琵琶湖漕艇場が見え、一漕のシングルスカルがスイイーっと湖面を滑っていきます。時間は11:40. 瀬田川を越えて正午ちょうどに平和堂石山店でドリンク休憩して大津駅南口を0:35に通過、ここからが山越えです。「逢坂の関」の石碑を過ぎて京阪電鉄と国道にはさまれた坂道の歩道を登っていきます。逢坂の関は東海道の鈴鹿関、中山道の関ヶ原につながる要衝として平安中期以降に日本三大関になるのですが、それ以前は福井県敦賀市にあった愛発関(あらちのせき)が北陸道の玄関として存在し、当時は三大関より東側が「関東」とされていたそうです。峠を越えると京阪電鉄「大谷駅」を通過しますが、まだ滋賀県大津市です。
Img_2524 13:10に京都市と大津市の境界が複雑に入り組んだ、というより旧東海道の路上に市の境界がある大津市追分町に出てきました。13:20京都市山科区に入って間もなくフレスコ四宮店(スーパー)で稲荷ずしを買って昼食休憩。 山科区では旧東海道が分かりやすくなっていて京の町の旧街道といった感じのお店や地蔵堂を見ながら走ります。最後の坂道を登り終え「蹴上浄水場」を過ぎて仁王門通を下って、14:10琵琶湖疎水、14:20に平安神宮前、ついに京都に到着しました。
10月31日に桑名を出発して約120kmを5日間かけて到着です。三重県内(伊勢のくに)の東海道も地元にいながらなかなか知ることのなかった歴史を知ることが出来ましたが、滋賀・京都の旧東海道を初めて訪れてみて、なんというか・・・深い歴史に育まれた豊かな文化のなかで人が暮らしているといった感じを受けました。 実際に行ってみないと何もわからない。行ってみないと何も始まらない。というのを痛感した旅だったと思います。
Img_2543 京都駅までは白川の川の流れに沿って歩きます。祇園の裏通りの静かな通りを歩き四条通りに出ましたが、さすがにこの界隈はすごい雑踏。なんとか通り抜け京都駅に15:20着、15:30のJR東海道線の快速で草津を経て、16:08に石部駅に戻ってきました。クルマで帰る途中、前回のランで気になった土山の安井酒造場さんに寄ってみました。そしたらなんと今日は、夕暮れの薄明りのなかお店の正面に「杉玉」が飾られているじゃあ~りませんか!さっそく中に入り話を伺ってみると、なんと今日が今年の新酒の発売日とのことでこりゃまたラッキー。とってもすてきなお土産をゲットできました。 話はランに戻りますが、京都の次はやっぱり約50kmはなれた「大阪」かなぁ、それとも東を目指すのか?またゆっくり考えようと思いました。
 

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2015年12月12日 (土)

東海道ラン、滋賀県甲賀~湖南市石部宿

今日は甲賀市土山町前野から草津市を目指して走ります。9時ちょうどに土山町に到着、フレンドマートさんで買い出しをして、ついでにトイレもお借りして9:35に出発です。
近江の国の街道沿いは、家々に大きな庭があって間口が広い家が多いように感じます。昔読んだ司馬遼太郎さんの対談で、昔から近畿地方では農家が農作物を近くの京都や大阪まで売り歩くことで、すでに近世の初めころには豊かな生活と社会的に独立した地位を手にしていたと言っていたのを思い出しました。
風情のある大きな屋敷の街並みが全く途切れることなく続きます。土山大野郵便局を過ぎたあたりで、なにかしら良さげな酒造場を発見しました。
銘柄は「初桜」おいしそうな日本酒だなぁ、買っていきたいのですが、手に持って走るわけにはいかないし、新酒ができたことをお知らせする「杉玉」が飾られるであろうポジションにまだセッティングされていないし、その時期が来るまで今日のところは我慢して、走りを続けます。それがちょうど10時
Photo 10:15に国道1号線「大野西」信号を通過、国道は高架になってバイパスのような姿に変わります。このさきしばらく国道から離れて、野洲川沿いの丘陵地帯のアップダウンのある道になります。地名も甲賀市水口町にかわり農村地帯から水口の市街地に近づいていてきます。
ここ甲賀市水口町今郷の宝善寺の近くにはその昔、武蔵坊弁慶がそばにあった岩と背比べをしたところ、自分より大きい岩に悔しがった弁慶がパンチを一発、その破片が200間(約350m)飛んでこのお寺の近くまで飛んできたという伝説が案内板にありました。お寺の境内に入らせてもらったのですが、残念ながらそれらしい岩を見つけることはできませんでした。
11:05に近江鉄道「水口石橋」駅の踏切を渡り、八坂神社でトイレ休憩して水口城には11:25に着、お城を見ながら持ってきたお弁当を食べました。
水口城は不思議なお城です。お城の中心部の本丸には建物がなく野球のグランドとして使われていますが、お濠には石垣が一部(番所と乾の櫓)を除いて「石垣」がなく、まるで自然の川のようです。
~Photo_2水口城は3代将軍徳川家光が京都に上洛するための宿館として1634年に造られた城で、将軍が上洛する機会がなくなり宿館として使われなくなった後に、城主となったした水口藩主は代々この城を幕府からの借りものとして、居城であるにもかかわらず本丸の御殿を使用せず、藩の行政も二の丸で行っていたそうです。
本丸御殿はその後も使われることなく1710年代に解体され、明治維新で廃城になるまで空き地のままだったそうです。明治の廃城の際に城の建材は公売に出されて、石垣はほとんどが当時の近江鉄道の線路敷設に使用されたそうです。本丸に石垣がなかったのはこのためだったのですね。
12:30横田渡の常夜灯を通過、ここから川越しに三雲町の街が眺められます。12:45三雲駅、13:05大汐川隧道を通過。ここで帰りバスの発車時刻の都合で、草津駅を14時前に発車する汽車に乗らなければ間に合わないので、時刻に合わせて計画の草津駅より3駅手前の甲西駅でランをストップしようかなと思い始めました。
甲西駅の前には13:30に到着、ここでスマホを使って次の「石部駅」までの距離を調べると約5kmの距離です。ゆとりをもって甲西駅で今日のランを終わらせるのことも考えましたが、最後の1駅は「ガチ」に走って、今日のランをしめくくろうと考えました。ここから先は純粋に走ることだけを考えて走り切りました。
結果、13:55に石部駅に到着。その後14:07石部駅発のJR草津線に乗り寺庄駅で下車しました。
Photo_3 寺庄駅からはあらかじめPCで調べてあったバスをで車が置いてあるところの手前の「岩室橋」で折り返して別の方向に向かうルートを通ります。「岩室橋」で降りるつもりでしたが、運転手さんにそのことを話したところ、もう少し先で降りるほうが近いと教えてもらい、出発地点のほぼ近くまでバスで行くことができました。ラッキーな締めくくりとなりました。

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